40歳酒好きJunさんの腎がん奮闘日記❤️

40歳で腎がん(T1bN0M0, ステージI)の告知を受けた2児のパパのブログ

入院時の便利グッズと不要だったモノ No.9

入院時、どのようなモノを持っていったらよいのか、結構迷っていたので記録に残したい。ちなみに実は腎がんの手術する約2ヶ月前にも、ジョギング時に右膝半月板が断裂し、縫合術を受けていた。そこで2回の入院時に便利だと思ったグッズ、不要だったモノを振り返りたい。

 

1. 病院から指示される「持ち物リスト」

病院から配られる「入院ガイド」に記載されている必需品は以下のとおりだが、勝手ながら必要度合いを分類してみた(超必須◎、必要◯、言うほど大事じゃない△)。

  • 歯磨きセット◎
  • うがい用プラスチックコップ◯
  • ストロー△ 
  • 石鹸、ボディーソープ、シャンプー等◎
  • 電気カミソリ◯
  • パジャマ△
  • タオル類△
  • 下着◎
  • イヤホン◎
  • 義歯と義歯保管容器△
  • 眼鏡&眼鏡ケース◎
  • 補聴器△
  • 時計△
  • 筆記用具◯
  • ティッシュペーパー◎
  • いびき対策グッズ(アイマスク&耳栓)◯
  • かかとのあるクツ◯
  • T字帯◎
  • 腹帯(開腹手術時のみ)◎

 

動けないときはベッド上で歯磨きして、うがいした水はトレイに吐き出し、ナースが捨ててくれる。コップもあると便利だが、ストローは2回の入院とも使わなかった。

電気カミソリは、そもそも見た目を整える元気もないため大事だと思わない。手術前と退院前日にT字カミソリでヒゲを剃ったくらいだ。ちなみに膝の手術の際は、「いざという時に酸素マスクをつけるので、ヒゲは剃っておいてください」と指示された(開腹手術の時にはその指示はなかった)。

パジャマとタオル類はレンタルしてよかったと思う。当初、病院のパジャマが嫌で、お気に入りのシャツなどをカバンに詰めたのだが、1週間近くの入院だとかなりの量になる。荷物量や身体中が管だらけになるので着脱のしやすさや洗濯などの手間を考えれば、レンタル一択かと。

イヤホンはMUSTです。Netflixなどのドラマ・映画を観て過ごしてました。ちなみに病院でTVカードを買って視聴しても良いかもしれませんが(私はTVは観ませんでした)、イヤホン接続部分(イヤホンジャック)が合うかは要確認です。

眼鏡ケースもMUSTで、眼鏡をかけて手術室まで歩いて行き、いざ手術台に乗る時に眼鏡を外すので、ナースが眼鏡ケースに入れて病室まで運んでくれます。

時計は、私はFitbitを腕に巻いているので不要でしたが、どちらにせよスマホ画面でも確認できるのでわざわざ時計を準備する必要はないかと。病室ではそんなに時間を気にするような場面はないので(そろそろ食事の時間かな…、ぐらいでしょうか笑)

筆記用具といってもボールペン1本あれば十分。なんならナース等が貸してくれたので、Myボールペンは使う場面はなかったかも。

もともとティッシュペーパーが好きな人間なのですが(笑)、やはり箱ティッシュを一つ持っていってよかったなと。なんだかんだよく使います。

いびき対策グッズは、同じ病室の患者さんたちはきっと誰も対策していないと思われるほどうるさかった(笑)、そのため私もまったく気にせずいびきをかかせてもらいました(笑)一方で、アイマスク&耳栓は、もともと好きじゃなかったのだが、入院中は大事だった。ただでさえ昼夜の区別もつかず、なかなか眠れない状態に加え、夜中の病室は騒がしく、ライトが眩しくて困るのでアイマスクと耳栓は助かった。 

かかとのある靴は、おそらくどの病院でも転倒防止のために徹底しているであろう。かかと付きのクロックスは、もともとよく履いているのでとても便利だった。しかし、ある病院ではクロックスがNGと言われ、かなり困った。結局、スニーカーを持っていたのだが、これが大失敗。開腹手術後は少し体を動かすだけでも痛く、靴を履くという動作がかなりの重労働になる。トイレ行くのにも毎回苦労するし、靴下を履くのもかなりツラかった。ちなみに病棟ではクロックスはOKというより、ナースが暗黙のルールで黙認していた。病院ルール的にはもちろんNGなのだろうが、そのあたりは入院説明を受ける際にキチンと確認した方がいいかも。

T字帯や腹帯は病院内のコンビニで販売しているので、入院当日に購入すればOK。

 

2. 便利グッズ

上記以外の便利グッズは以下のとおり。

  • ポケットWi-Fi
  • 延長コード(短いタイプでOK)
  • スマホの充電ケーブル類
  • 無印良品の化粧ポーチ(のようなもの)
  • ボディペーパー
  • 飲み物・果物・ヨーグルト

ポケットWi-Fiは、院内ルールでNGのところも多いようなので必ず確認してください。WiMaxだと2週間無料お試しレンタルができたので助かりましたが、2度目の入院の際は、4,000円程度払って利用しました。驚くほどベッドの上ですることもないというより、何もできないので、ほとんどスマホを触って過ごすことになります。スマホがなかったら、私はただの廃人だったかもしれません(笑)

延長コードもMUSTかと。利用できるコンセントの箇所から、ベッドまでは距離があるし、Wi-Fiの充電やスマホの充電など、諸々したいことがあるので、ベッドで横になったまま、手を伸ばせばコンセントが届くというのは、QOLはグッと上がるかと。

無印良品の化粧ポーチは、表現しにくいのですが、地味にかなり助かりました。ベッドサイドの棚に、このポーチのフックを引っ掛けることができます。すると、歯ブラシセットやうがい藥、コンタクトレンズや洗浄液など、諸々の小物類が見えやすく、取り出しやすいので、特に少しでも動くのがしんどい時には助けられました。

 

 

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無印良品の化粧ポーチ


ボディペーパーも大事です。手術後、しばらく入浴できないため、ナースが濡れタオルを持ってきてくれ、体を拭くことができます。ただし、ナースにジーっと見られながら、身体の隅々まで拭ききるのも難しかったです(股間をゴシゴシしたタオルをハイって渡す勇気がなかったです笑)。入浴できないと不潔なので、日々気持ち悪さがあるので、ボディーペーパーで定期的に身体を拭けると気休め程度にリフレッシュできるので、あるといいと思います。

入院当日(手術前日)は何もすることがないので、病院のコンビニで飲み物、飲むヨーグルトなどを調達していた。手術後、驚くほど身動きができなかった。しんどすぎて食欲も全くわかない。そもそも病院のごはんが驚くほど、ま◯い(笑)。冷たい食パンにバターはぬれないよとグチりたかったし(笑)、体が受けつけなかった。けど、買っていた飲むヨーグルトはめちゃくちゃ美味いし、少しでもカロリーを取れて助かった。また、私の場合は果物を無性に欲していて、いくらでも果物を食べられたので、コンビニで果物を調達してコソコソ食べていた。

 

3. 不要だったモノ

  • プチ空気清浄機
  • スマホスタンド
  • 多すぎる書籍

冬で乾燥して喉がやられるのは困るかと思い、小さな卓上空気清浄機を購入した。しかし、困ったことにこれが不良品で、加湿が始まったと思いきやすぐに止まってしまう。加湿器が悪いのではない、そう不良品が悪いだけだ(笑)

スマホスタンドは、くねくねと自由に曲げることができる長いワイヤーで、片方にスマホを固定し、もう片方はベッドなど好きなところに挟んで固定できる代物だ。ベッドで横になった状態で映画を観るために入院前に購入した。ただ、これが失敗した。確かにベッドサイドの棚およびスマホの固定は問題なく、ベッドに横になった状態でスマホをバッチリ観れるため、まさに完璧な状態だ。しかし、スマホ画面を操作しようとタッチすると、ぐらんぐランの大きく揺れ、なかなかとまらない。そ〜っと手を添えて動きを止めるのだが、難しい。また毎回画面触るたびに大きく揺れるので、揺れを止めるのがめんどくさいし、ちょっと揺れている画面を見るのも気持ち悪く、結局取り外した。

入院ライフを満喫しようと、意気込んで書籍を買い込んでいた。しかし、何度も高熱に悩まされ、身体もしんどいときは本を読む元気がなく、だらだらとスマホをみるぐらいがちょうどいい。それと退院時に持ち帰るのが何よりもしんどい。妻に迎えにきてもらい、荷物を持ってもらったから助かったが、自宅に帰るだけでも体力的に帰れるかギリギリだったので、ほとんどの本が不要だった(2冊程度で十分?)。

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スマホスタンド



4. 番外編:あったらいいなと思ったもの

  • マジックハンド
  • 腰痛対策グッズ

ベッドから身体を少し起こすのも一苦労だし、床に物を落としたら取ることもできない。そんな手の届かないときに何度欲しいと思ったことか…。

最後に付け加えると、入院中はずっと腰痛に悩まされていた。術後は身体を全然思うように動かせないので、ずっと腰がベッドに付いている状態となる。寝返りを打てないことがこれほどまでに辛いとは…。腰痛対策グッズでオススメできるアイテムは知らないのだが、腰痛持ちの方は覚悟しておいた方がいいかもしれない。

 

これから入院する方に少しでも参考になれば幸いです。

 

ではまた〜。

がんになってから、一番救われたこと No.8

がんの告知を受けて以降、毎朝起きるたびに「これは夢ではないのか…」と辛い現実に直面する。会議をしても「うわの空」で、数ヶ月先の人事プランを考えようとしても全く頭が動いていない。家族と過ごす時間は、これまでと何も変わらないのだが、胸の奥のところがポッカリと穴が空いているような感覚だ。

 

翌週に手術を控えるタイミングのとき、親しい友人には「がんになったこと」、「手術を受けること」を伝えようと思った。心配してほしいからではなく、単に何も報告しないで手術を受けるのも気が引けたからだ。

 

電話、Web会議、SNS(LINE)などを通じて、シンプルに伝えることにした。予想どおり、皆が驚いていた。面白いことに(って言ったら怒られるけど)、一人ひとりの性格によって反応も様々なのだなと思う。

 

  • いつもと全く変わらない態度で接しようとする方
  • 驚きすぎて、なんと返してよいか分からず固まってしまう方
  • 驚きつつも、言葉も選びつつも、何とかして気持ちを伝えようとする方
  • 自分の苦労話を演説し始める方(笑)

 

驚かせてごめんねって思うけど、皆さんなりに気持ちを返してくれていることは十分伝わるので、ありがたい。そして何よりも嬉しかったことは、その後の友人たちが嬉しいプレゼントをくれたことだ。

 

1. LINEで伝えた翌日、地元から駆けつけてくれたこと

LINEで地元の友人グループに報告した翌日、「今日の夜空いてる?」と連絡をくれ、会うことに。車で親友らが駆けつけてくれ、コロナ下ということもあって飲食店という訳にはいかないので、コンビニの駐車場で、車の中で色々と話した。99%下ネタとは言わないが(笑)、いつもと変わらぬアホ話をしてた。これが何よりも有り難かった。暗いドロ沼に埋まっていたのだが、この時は気持ちが晴れるようだった。夜遅く、仕事終わりで疲れているところにも関わらず、1時間近く車を走らせ、駆けつけてくれた気持ちが何よりも嬉しかった。

 

2. 自分のことを思って、祈ってくれたこと

会社の同僚、キャリアコンサルタント仲間、地元の友人など、まだがんのことは、かなり限られた人にしか伝えられていない(両親や兄もまだ)。けれども、大変ありがたいことに、伝えた誰もが私のことをかなり心配してくれ、優しい声をかけてくれた。

 

  • 毎日、神社に歩いて行き、私の癌が治りますように、と手を合わせてます!
  • がん封じの寺からパワーを送ります
  • 無事を祈る…

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めちゃくちゃ嬉しかった。「がんなんかに負けてたまるか!」って腹の底から力が湧いてきた。社会人になってから、なかなか友人と会う機会は取れておらず、付き合いの悪いヤツになっていたのだが、そんな自分に対してここまでしてくれるのかと。

 

 

逆にこうも感じていた。友人が苦しんでいるときに、友人のためにここまでできる人間なのだろうか…とも。ただ、これからは友人や困っている人たちのために、しっかりと気持ちを伝え、行動できる人間に必ずなる、と決意しました。

 

ではまた〜。

最強の患者たちと多忙な医療従事者 No.7

6人部屋という超大部屋に入院していたが、周りの患者はすべて80代以上と思われるおじいちゃん達だった。

これがなかなかのくせ者揃いで(笑)、ルールを守る気配はない。

  • 病室内で当たり前の通話
  • 携帯電話の着信音がMAXと疑われるレベル(笑)
  • ベットサイドのTVをイヤホンを使用せず、大音量での視聴

これらは私が入院した病院ではすべて禁止されている行為である。ナースもたまに注意して止めさせるケースもあるが、見逃しているケースや甘過ぎる注意で患者に無視されているケースがあった。一度注意されても、そんなことを気にするおじいちゃんではないので、同じことが繰り返されているし、ナースも黙認しているのだろうと思う。

 

私はイヤホンをつけて、Netflixのドラマ・映画を大量にダウンロードしてきて視聴していたので、8割ぐらいは「どうでもいいや」と気にしないスタンスだったが、2割ほどは「うるさいので注意しようかな」と揺れていた。結果的に、注意しなかったのは、かなりの心細さ、寂しさがありそうな方でもあったからだ。薄いカーテンでしか仕切られておらず、会話が丸聞こえなのだが、あるおじいちゃんは脳梗塞も発症したようで半身にマヒがあり、家族と離れており、またコロナのため面会もできない状況のためか、「家族に会いたいよ」とか、弱気発言もナースに度々話しているようだった。

 

寂しければルールを無視してよいとは思わないが、他の患者さんにとっては迷惑な話なので、病院ルールを病棟ナースはしっかり運用してほしいと思った。順守する必要がないルールなら、ルールを撤廃すればいいし、順守すべきならナースが毅然として対応してもらいたいものだ。

 

一方、病棟ナースのハードな業務にも頭が下がる思いだ。おじいちゃんズは、ナースコールを連打するという特技があるみたい(笑)誰も応答してくれないと、おじいちゃんは「全然来ないじゃないか!」と怒り出す。気持ちは分かるが、おじいちゃん達が気軽に押し過ぎて、遠くのナースステーションで、ピコン、ピコン、と電子音が鳴り止まない状況なので、純粋にキャパオーバーだ。

 

ナースコールでナースを呼びつけるたび、オムツを全部脱いでいる状態で、おしっこをベッド中にぶちまけている方もいた。詳しい状況は分からないが、おじいちゃんは故意(?)と思われる失敗を続けている。おじいちゃんは複数のナースから、厳しく同じ注意を何度も受けているにも関わらず、全く聞く耳は持っていないようだ。ツワモノですね(笑)

 

隣りの患者さんは透析をしていて、しっかりとした応答ができる数少ないおじいちゃんだった。当然、透析には患者さん本人や医療従事者の手が必要なため、ナースがつきっきりでサポートしている。

 

つまり、この部屋には手がかかる患者さんばかりでナースは付きっきりになり、私は放置されまくっていた(笑)定期的に、血圧、体温、酸素濃度などの測定や、おしっこや便が出たかなど、簡易的に確認してくれるが、まぁそれだけ(笑)ナースがカーテンを開けてから出て行くまで、2分以内で帰っていくイメージだ。

 

ナースと話せなくてスネているのではない(笑)ナースコールの連打など、常にナースが患者対応に手一杯になっているので、結局、回り回って、ナースにお願いしたことが忘れ去られることがビックリするほど多かった。「あとでまたきますね〜」と言われても、来ることはなく、いつの間にか夜勤のナースに変わっているので同じことをまた伝えるとか、こんな軽微なことはザラである。

 

ここで詳細を書くのは控えるが、手順に従った医療行為が行われなかったものの(ヒューマンエラー発生)、結果として被害(不利益)が生じない、ヒヤリ・ハットと呼ぶ事例に直面した。はじめは私が見逃しただけかも…、と思ったが、2回目も同様だったので、ナースに直接確認したが、適当にごまかした返答をしていた。そのナースへの不信感は当然だが、その病院自体も大丈夫なのかと不安になってしまうし、患者さんへ重大な不利益をもたらすリスクもあるので、医療安全は再教育を継続的に徹底して欲しいところだ。

 

私がつぶやきたかったのは、おじいちゃんズが最強だという話と(笑)、だからこそ医療従事者がキャパオーバーになってしまっており、個々人レベルでは医療安全が軽視された事例が発生している。そのため医療従事者の負荷を軽減させる取り組みは、あらためて大切であることを実感できたし、また医療安全に対する継続教育は大切にしてもらいたいと思った。

 

余談だが、自身が薬剤師であることを隠すつもりも、強調するつもりもないのだが、デキストロメトルファン臭化水素酸塩水和物(商品名:メジコン他)のことを「気管支拡張薬ですから〜」って説明してくるので、さすがに違和感があって「中枢性鎮咳薬ですよね?」って返したら、「あなた何者?!」という表情になってました。他のナースに引き継がれたのか、私が薬剤師であることを伝えてから、ナースの対応が丁寧になったように気がする(笑)。

 

ではまた〜。

腎がん手術後の経過 No.6

 

2021年3月2日、腎がん(T1bN0M0, 淡明細胞型)のため、左腎部分摘除術を受けた。術後の経過を備忘録的に記録に残す。

 

術後1日目(手術翌日):高熱にうなされる

  • 寝て起きて…と言うより、意識があるかどうか…の方が近いかもしれないが、ただただしんどくて、ひたすら横になっていた
  • 食欲もなく、食べたのはフルーツぐらい
  • 先生から「復帰を早めるためにも歩けるなら歩いてください」と言われたので、ナースの付き添いのもと歩くことにチャレンジ(痛いのでめっちゃ怖い)
  • そもそも身体を起こしてちゃんと座れない。少しでも動くと激痛なので、まずはベッドの昇降機能を使ってなんとか上半身を起こす。次に身体を捻って足をベッドの外側に出し、靴を履き、立ち上がるという単純な動作ですら、激痛のためうまくできない。20mぐらい歩いたが、血の気は引き、冷や汗もダラダラと流れ、呼吸はハァハァとかなり乱れ、かろうじてベッドまで戻ってこれた。全てのプロセスが激痛だった
  • 歩き終わった直後から吐き気が強くなったが、横になったまま休んでいるうちにおさまった
  • その後、急に身体がガクガクと震え出し、震え寒気を感じはじめ、その後39度以上の高熱となる。抗菌薬を点滴をしてもらってから、いったん熱は下がるが、また夜にも39度以上となる
  • 全身が管だらけの中、高熱にうなされ、傷口は激痛で、ずっと横になっているため腰痛もキツく、かといって寝返りも痛くてできず、空腹だが食欲がなく、かつ夜中も全然眠れず長い夜を過ごす、という地獄のような状況

 

術後2日目:最も痛くて辛い1日

  • ますます心身ともにボロボロの状況になってくる
  • 食事は無理して1/3ぐらい食べる(食欲がないのと、不味いのと…笑)
  • 平熱に戻ったので、もう少し歩けるようになるため再チャレンジ。しかし、病室を出てすぐぐらいのところで足が動かなくなった。前日同様に、あまりの激痛のため、血の気が引き、冷や汗も呼吸も乱れていたが、ナースが私の異変に気づき、すかさずSTOPが入ってチャレンジ終了となる
  • ベットでしばらく横になれば痛みが落ち着くと思いきや、なかなか痛みがおさまらない。むしろ手術日や翌日よりも、術後2日目の方が手術部位が痛かった
  • 再度高熱になってしまい、歩いた後は発熱するという嫌なジンクスができてしまう
  • 痛みを感じた時は、ボタンを押せば、背中の硬膜外に鎮痛薬が届いてくれるはずだが、押したからといって痛みの変化は感じない
  • 書籍も持ってきていたが、読む気力は全くないため、ボーっと観れるドラマを視聴するものの、痛くて楽しめない
  • 傷口や寝返りをうてない腰の激痛に耐えながら、眠れない長い夜が続く。一日23時間55分ぐらいベットの上で横になっているのは、さすがに腰が割れるように痛い。寝返りをうてないのは致命的だ

 

術後3日目:尿道カテーテルを外し、自力でトイレまで往復できた

  • 朝8時ごろ、6〜8名の先生+ナースがいつものようにゾロゾロとやってきて、私のベッドの周りを取り囲む。尿道カテーテルを外すとのことなので、ズボンをおろし、固定していたテープなどを剥がされ、いよいよ尿道口に入っていたカテーテルを引き抜かれる。ものすごい痛いだろうなと思ったら、全く痛みは感じず、ただただ気持ち悪い(笑)カテーテルを抜く時、デロデロって、先っぽから抜けていく感覚がなんとも言えない。同時に、病棟のトイレまでまだ歩けないのに、カテーテルを抜いてしまったことに強烈な不安があった。
  • もう引くに引けない状況なので、トイレまで歩くことチャレンジすることにし、なんとかたどり着けた。単におしっこするのではなく、蓄尿する必要があるため、おしっこをわざわざコップに採り、所定の袋に取り貯めなければならない。こんな単純なことでも、とにかく痛いので、冷や汗をかきながら、なんとかやり遂げた。すごい達成感(笑)
  • 相変わらず続けて座ることも、立つこともできないため、またベットの定位置に戻るしかない。何もすることはないので、ドラマや映画は見放題というのは贅沢な話なはずだが、結構しんどいので、思ったより楽しめない。
  • 食欲もまだ戻ってこない(1/3〜1/2程度を食べる)

 

術後4日目:ドレーンを外し、院内のコンビニまで往復できた

  • 早朝に、大勢の先生たちがやってきた。いつも嵐のようにやってきて、嵐のようにすぐに去っていく。今朝は脇腹から出ているドレーンを引っこ抜くことになった。身体を横に向けた後、処置をしてくれているが、これがかなり痛い。ただ、すぐに終わってくれたので助かった。気づけば、背中に入れていた管も同時に抜かれていた。私の体に繋がった管が抜けていくのは、やはり嬉しい
  • 今日はさらに距離のある院内のコンビニまで歩くことにした。トイレの往復を1の距離とするなら、これは10ぐらいの距離があるような感覚だ。途中でへばっても困るので、ナースに付き添ってもらい、無事に買い物を済ますこともできた
  • もうしばらく風呂に入ってないので、身体中気持ち悪い。さぞ、他人に迷惑をかける異臭を放っていてもおかしくない(笑)一応、自分で持ってきていたボディペーパーで身体を拭いていたり、ナースがあったかい濡れたタオルを持ってきてくれるので、多少は汚れを落としていたつもりだが、風呂に入れないのはかなり不快だ。そしていよいよ手術後、はじめてシャワーを浴びることができる
  • シャワー室に辿り着くまででも体力をかなり消耗したが、さらに自分で服や下着を脱ぐ動作もかなりキツイ。シャンプーで頭を思いっきりゴシゴシしたくても振動が痛いので、ハァハァ言いながら弱い力で洗髪している。鏡で初めて手術した傷口を拝むことになったが、20cmぐらいズバッと切られた痕があ理、これがかなりグロい。なんとかシャワーを浴び、またベッドに戻るが、やはりシャワーを浴びるとかなりリフレッシュして気持ちいい。術後、最も回復したことを実感できた瞬間だった。

 

術後5日目:祝! 術後初ウンチ

  •  もともと規則正しく毎日便があるタイプなのだが、術後、なかなか便が出なかった。下剤なども飲んだり、コンビニで買ったヨーグルトやフルーツなどを食べたり、食事も極力取るようにしていたがうまくいかなかった。しかし、この日にようやく便が2回も出て、すごく安心した。
  • トイレや、朝と夜の洗顔、シャワーを浴びることなどができるようになった。前日よりもさらに体力は回復してくる。しかし、これはかなりの痛みに耐えながら、なんとか強引にやっている感覚である。そのためトイレ往復で頑張った後は傷口が熱く痛いので、しばらく横になって身体を休めて…を繰り返している状態である
  • ここにきて精神的にもようやく落ち着きはじめ、書籍を読む気力が戻ってきたので、読書を楽しむことができた

 

術後6日目:急遽退院可能となり、恐怖の帰宅チャレンジ

  • 2021年3月8日(月)早朝、またいつもの大勢の先生達がベッドサイドへやってきた。経過は非常に良好とのことなので、今朝の採血結果次第では退院できるとのことだ。もちろん明日以降の退院でも問題なく、どちらがいい?とフランクに聞いてくれた。私に繋がっていた管は全て取れているので、このまま病院に残らなければならない理由はない。一番の不安は、病院から自宅までたどり着けるかどうかだったが、急遽退院することを決断した。
  • 朝ごはんを食べた後、すぐに退院できるように荷物をまとめ、血液検査や医師の判断を待った。結果的には大きな問題はなかったので、午前中に退院することになった。退院時処方や会計など必要な手続きを全て終えた(実は必要な書類を受け取ってないことにあとで気づいたが、まだ病院からの連絡はない)
  • 妻に病院まで来てもらい、病院→タクシー→電車→乗り換え→電車→徒歩→自宅の約1時間、なんとか痛みに耐えることができた。
  • 当たり前だが、自宅は最高に落ち着く。子ども達の顔を拝めるだけでも幸せを感じる。また、愛用のシャンプーやリンスを使えたり、美味しいゴハンが食べられたり、素足で自由に歩けたりなど、病院と比べて自由度も高いので、無理してでも帰って来てよかったと感じている。

 

ではまた〜。

ドキドキの手術当日 No.5

 

入院当日の朝

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手術日の朝

入院2日目、手術当日の朝を迎えた。

 

大部屋には、医療上のケアが必要なおじいちゃんが多かったため、真夜中も騒々しいアラーム音やナースの声が聞こえてきたり、ライトなどで眩しくなったりと、何度も起こされてしまった。想像どおり、眠りは浅かった。

 

昨日の夕食以降、食べ物、飲み物はストップになっていた。正確には0時からは食べ物がNG、手術日6時以降は飲み物がNGとなっていたが、夕食以降は飲まず食わずを徹底してしていた。

 

他の患者に朝食が順次配られ、患者たちが食べる様子がカーテンで見えなくてもクリアに見える。それも80歳を過ぎたおじいちゃん達なので、クチャクチャとか、ズルルルルーって、イチイチ音がでかい(笑)お腹がかなり空いていたので、余計に空腹感が増してくる。

 

手術までやることがないので、ひたすら暇つぶしをするしかない。これが結構、長く感じた。

 

手術は朝一なのでラッキーだった。2番目、3番目となると、どうしても手術時間が前後してしまい、いつ手術が始まるか分からないので、心の準備が揺らぎそうだが、1番目なら定刻から開始してくれるからだ。

 

いざ、出術へ

さて、いよいよ呼ばれる時間になる。手術着に着替えて、帽子も被り、T字帯(ふんどしのようなもの)と腹帯も握りしめてスタンバイOKだ。日頃はコンタクトだが、メガネをつけたまま、ナースの案内のもと、そのままオペ室へ案内される。

 

オペ室は複数あったので、これから手術を受ける私と同じ格好をした患者さん達や、多くの医療関係者がワサワサとせわしなく動いている感じだ。オペ場のナースより、各種アレルギーがないかなど、いくつかの質問に答えたのち、いよいよオペ室へ入る。

 

私の体型的には小さく感じる手術台の上に横になり、ナースが手際よく準備を着々と進められる。裸になるが、上にシートのようなものを被せられおり、心電図の電極や血圧計、酸素濃度測定もろもろがつけられる。

 

硬膜外麻酔の準備が始まった。体を横にして、赤ちゃんのように体を丸めることになる。極力、膝をグッと抱きかかえて背中を丸くピーンと張ることで、適切に硬膜外にアクセスできるからだ。

 

けど、困ったことが起きた。どうやら硬膜外にうまく入らないようだ。かれこれ何分間もトライしている。背骨を強くグリグリと指で押し付けられ、刺す場所を丁寧に確認した上で、針をグッと刺されるのだが、なかなかうまくいかないようだ。

 

私が少し太った体型であることを手術台の上で後悔するとは思いもよらなかった(笑)きっともっと痩せていたら、スムーズだろうにとww

 

15分ぐらいは経った感覚だが、グリグリと試されている間、何とも言えない痛みがあり、全身から汗が吹き出ていた。ナースが優しく汗を拭いてくれて、とても安心した。

 

なんとか硬膜外麻酔の準備が成功したようだ。すると今度はマスクが視界に入り、医師より「これから全身麻酔を始めます。これが始まるとすぐに意識はなくなります」と言われた。

 

「あぁ、ドラマでよく観るこのシーンか」と回想していた。大好きな医龍というドラマでは、阿部サダヲ演じる荒瀬という麻酔科医が「ひと〜つ、ふた〜つ…」と数え、カウント通りに見事に意識を落としているシーンがすごくカッコいい、あれだ。

 

不意にマスクを顔の上に置かれて、「おっ、くるか、ひと〜つ」とテンションが上がったが、どうやら私は瞬間的に意識が落ちたのだろうか、そこまでの記憶しかない(笑)

 

術後の目覚めた瞬間 

次に目覚めた瞬間は、もとの病室にいた。大勢の医師やナースがちょうど私のベッドの周りを取り囲んでいた状況だった。パチっと目が覚めるというよりは、ぼや〜と周囲に人がたくさんいるのが見えたというようなウトウトした感じだった。主治医の先生の声は聞こえてきて、「手術はうまくいきましたからね〜、がんはすべてキレイに取り除きましたよ〜」という声が聞こえてきて、すごく安心した。目もうまく開けられないまま、「ありがとうございます」とヘロヘロな声をかろうじて絞り出した。

 

その朦朧としたまま、また意識がなくなり、眠りについた…。

 

次に目覚めると、自分がすごい状態になっていることに気づく。身体中、管だらけだ。

  • 顔には、酸素マスク
  • 手の甲には、注射針が2箇所刺さっており、テープで固定され、点滴される
  • 脇腹からドレーンの管が出ていて排液されていく
  • 尿道口から管が出て、おしっこが体外へ排出されていく
  • 背中の硬膜外麻酔時の場所から管が出て、自身で鎮痛剤を投与できる

 

上記のとおり、こちらはヘロヘロの寝たきり状態なので、どの管がどれなのか区別がつきづらい。別に区別がつかなくても、ナースがすべて対処してくれているので、区別がつかなくなっても困ることはない。ただ、以下のボタンを探そうとする場面は何度もあり、その度にこんなにたくさんの管に繋がっていることを実感する。

 

痛みがキツくなってきたときは、背中から伸びている管にボタン付のデバイスがあり、そのボタンを押すことで鎮痛剤を投与できる(自己調節鎮痛法:PCA)。自身の判断で投与できるのがポイントで、もしこれがなかったらナースを呼び、ナースが痛みの評価を行い、医師に伝え…など、その間はずっと患者は苦しみ続けることになるが、評価の難しい「痛み」を患者自身がタイムリーに対処できるのは大きなメリットの一つだ。患者自身の判断のため、過量投与のリスクも考えられるが、そうしたことが起こらないように、ボタンを押した後は一定期間の間は2度目を押せないようになっている。背中から管が出ているので、邪魔にならないのかも気になっていたのだが、私の感想としては思うほど気にならなかった。

 

そして、肝心な「痛み」についてだが、結構キツかった。手術部位が激痛というよりは、ただ身体中が「しんどい」という状況だった。けど、術後2日目、3日目以降に手術部位がもっと痛みが出てくるとはそのときは分からなかった。

 

注意点:個人の感想であり、すべての患者に当てはまるものではない 

上記は、言わずもがなだが、医療機関の対応方法も医療機関ごとに異なるし、痛みの感じ方をはじめ、単に私個人が感じた一事例に過ぎない。もし、同じような手術を受ける予定にご覧いただいてるなら、全く別の体験や感じ方をになる可能性も十分あるので、ふ〜んと読み流していただきたい。

 

ここからいよいよ、想像以上に辛い入院生活が本格的に始まることになった。 

ではまた〜。

 

 

 

 

 

入院当日の過ごし方 No.4

2021年3月1日、花粉症持ちの私にとってシンドイ季節だが、カラっと晴れた良い日だ。

 

しばらく美味しいものを食べれないからと、妻と2人で大好きな「らーめん文蔵」に立ち寄った。相変わらずの美味しさに幸せを感じる。いたって普段通りの会話なので、まだこれから入院する実感があまりないが、英気を養い、そのまま病院へ向かうこととする。

 

ボストンバッグを抱えて、指定通りの13:30に病院へ到着し、そのまま入退院受付へ。いくつかの書類手続き等を済ませたら、看護師の案内に従い、そのまま病室へ行く。高いお金を払えば個室などにも変えられるが、どうせ痛みに耐える不自由な生活だろうからと大部屋にした。大部屋といっても4人ぐらいを想定していたが、まさかの6人部屋。さすがに多すぎでしょ(笑)

 

病室ライフを満喫できるようにと、持ってきたものを棚に整理する。まぁ、一瞬で終わってしまうわけです。すると、ヒョコっと誰かがカーテンを開けて入ってきた。麻酔科医だ。気さくな先生で好印象。何を話すかと思えば、ほとんどがリスクの説明だった。全身麻酔と硬膜外麻酔をするよ、というメインの話は一瞬で、それをするためには、あれやこれやとたくさんリスクがあるよ、ということ。けど、これに同意しなければ、そもそも手術できないので断る選択肢はないと言っていい。サインを済ませたら、先生はササッと消えていった。

 

驚くほど何もすることがない。病室にいても仕方ないので、病棟フロアにある談話スペースへ移動した。窓も大きく日が差し込むのは気持ちがいいが、かなり狭いのはちょっと微妙。ここで携帯をいじりながら、暇つぶしをしていた。入院生活でこの時間がいかに幸せな時間だったかをこの時は知る由もなかったが…。

 

手術してからしばらく入浴できないので、シャワーを浴びることがてきた。病院に来る直前も入浴してきたのだが、少しでも清潔にしたかったのでもう一度入浴してリフレッシュした。

 

18時過ぎには夕食が提供された。予想通り、美味しくはない。いや、率直に申し上げるならば、まずい(笑)。これが今後も続くことを考えると、らーめんを食べてきてよかったなと思う。

 

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夕食(入院初日)

食事を済ませ、22時には消灯となる。手術に向けて体力を温存するためにも、スマホいじりをやめて寝ることにした。

 

ん? 全く寝れない。眠れる気配がない…。

 

出張先のホテルでは見事にいつも熟睡できるのに、全然寝れない。これがまさか手術前の緊張と言うやつか…と実感する。いままで不思議と手術のことは考えてなかった。「とにかく1日も早く手術を受けたい」ということばかり考えていたが、急にこの時に具体的に手術のことが頭をグルグルと考えるようになっていた。全身麻酔が始まったら意識がないから、その直前はドキドキするのだろうか、どんな気持ちになっているだろうか…。

 

あぁ、余計に眠れなくなってきた。

 

……。

 

こんな悶々としたことを考えているうち、いつの間にか寝ることができました。

 

ではまた〜。

 

手術をどこで受けるべきか? No.3

 

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手術をお願いしたいと思えるか?

がん告知された翌日の夜、またモヤモヤしたあの医師の言葉が頭をよぎった。あの医師に私と家族の人生を任せられるのだろうかと。

  • 「腎がんは間違いないと思うのだけど…」
  • 放射線科医が診てから確定診断を…」
  • 「カンファで皆の意見を聞いてから…」

 その病院のホームページを見ると、最新の内視鏡手術支援ロボット「ダヴィンチ」を導入しているし、ホームページも患者さんにとって親切で分かりやすい。PubMedを使ってその医師の名前を検索すると、前立腺関係の論文を書いていて、そんなに過去のものでもなく、個人的には信頼度はぐっと上がってきた。

 ただ、病院として腎がんのオペ実績は年間7例ぐらいと少なく、まだ病院の歴史も浅い。腎がんを専門としている訳でもない。何より、あのモヤモヤが気になり、別の病院で手術を受けるかどうか、選択肢として持っておいても悪くないと感じ始めた。

 

とにかく一番の願望は、一日も早くがんを取り除きたいということ。腎がんは一部の癌を除いて進行は遅く、年に数mm程度だと言われている。そのため、そこまで焦る必要はないかもしれない。しかし、腎臓は血行性に富む臓器のため、微細ながん細胞が血流に乗って他の臓器に飛んでいってしまうかもしれない。そのため「1〜2ヵ月を待ってでも…」ということはどうしても耐えられなかった。1〜2ヵ月待っている間に転移する可能性は低いとはいえ、その間待ったことが原因で転移したことを証明することは不可能だとしても、そんな不安を感じるくらいなら手術の日程を優先したい。手術日を2021年3月3日に仮予約していたが、それよりも早い日程で手術できるところで、信頼できる医療機関・医師がいたなら、そこにお願いしようと思った。

 

ベストな病院・医師をどうやって探すか?

がん告知の3日目(月曜日)、会社を休み、診療データ(CT画像)を入手しに病院へ行った。CT画像をもらうということは、他院に行く気満々ということだが、事情を看護師さんに伝えたら、驚くほど親切に先生に働きかけ、CD-ROMに焼いてくれた。手術や術前検査の予約をしているし、実際に手術をお願いするかもしれないので、後ろめたい気持ちはあったのだが、背に腹は変えられない。本当は紹介状を書いてもらうように依頼しても良かったが、まだ他の医療機関で手術するかどうかも分からないので、無理にお願いしなかった(あと、紹介状を書くのは時間がかかりそうだったので)。

 

病院を出て、頼りになる友人(製薬会社のMR)に久しぶりに電話してみた。彼女は腎がんについても詳しいだけでなく、医療機関、医師のレベルでも豊富な情報を持っているので、色々と教えてもらった。

 

その情報を聞くなかで、特にいいなと思ったポイント

  1. 医療機関として、腎がんの手術件数(実績)が多いか
  2. 腎がん診療ガイドラインなどの作成に携わっているか
  3. 著名な先生に執刀してもらえるか
  4. なんとか通える範囲にあるか(都内在住)

 

私見だが、2. はその領域での実績が認められている方と同義だと考えている。いまは各種がんを含め様々な疾患領域でガイドラインというものが作成・公開されているが、そこに携わって医師なのであれば、まさに「医師から認められる医師」の証明だと思っている。

 3. は運だ。診察してみないと分からない。ただ、もし1. がずば抜けて多いのであれば、No.2, No.3の医師も数多くの実績を積んでおり、高い技術レベルを持っているのではないかと想像できる。

4. の地理的な問題はどうしようもできないが、幸い都内にはたくさんの有名な医療機関があるので、なんとか通える範囲にちょうどピッタリの医療機関(J病院と呼称する)があった。

 

セカンドオピニオンは遠慮なく活用しよう

まだ10時前だったので、J病院に電話してみると、紹介状がないからダメだと断られる。けど、初診時選定療養費を払うから何とか診てもらえないかを懇願しまくったところ、なんとか外来看護師に転送される。これまた冷たい態度で、その看護師からも紹介状がないからと断られる。いまにも電話を切られそうな雰囲気だ。けど食い下がり、詳細な健診結果とCTデータもあるし、私自身まだボケてないのでちゃんと詳しい説明もできるし、選定療養費も払うから診てもらえないかを再度懇願し、かなり渋られたものの、何とか診てくれることになり、急いでJ病院に向かった。

 

病院に着き、受付を済ませ、外来前で問診表を記載する。必要事項を記載するだけでは物足りなかったので、空いているスペースに、なぜこの医療機関にきたのか、著名な先生に執刀してもらいたいと、いわゆるラブレターのような書きぶりだ(笑)。受付に提出後、かれこれ2時間以上は待ったが、診てもらえるだけでありがたい。

 幸運にも著名な先生の診察を受けることができた。造影CT等のデータを持って行ったが、やはり一から検査をすることになり、造影CTを今度は腹部ではなく、胸部から下を撮影した。

 

診断結果

  • 左側の腎細胞がん(淡明細胞型)
  • 腫瘍長径5.2cm
  • リンパ節、他臓器への転移は見当たらない
  • T1bN0M0, ステージ1

 

手術については、ガイドライン上では腎臓の全摘除術が基本となっているが、近年では長期的に腎機能を温存することが大切との観点から腎部分摘除術も良いとのことで、私の腫瘍径/位置から、ロボットを使うダヴィンチ手術が可能とのことだった。

 

手術方法の選択を迫られる?!

残念ながらロボットを使う手術予定が詰まっていて、最短でも4月以降になってしまう。その日から1ヶ月以上も先の日程だ。なんとかスキマ日程などにねじ込むことはできないのかを粘ったところ、2週間後の3月2日もオペ可能だが、ダヴィンチ手術ができず、開腹になってしまう。どうしたいか、選択を迫られることになった。

 

もちろん即答で開腹手術だった。予習しまくっていたこともあり、開腹手術、腹腔鏡下手術、ダヴィンチ手術、どれも大きな差がないことを把握していたのも即答できた要因の一つとなった(開腹と腹腔鏡では生命予後には差がなく、ダヴィンチは保険適応となってまだ歴史は浅いので長期的なことは言えないものの、差があるという報告はない。手術によって切開する範囲が違うことなどに伴い、退院までの日数のようなことはダヴィンチが有利かもしれないが、私にとっては小さなことである)

開腹手術は確かにちょっと怖いけど、とにかく早く手術がしたかった。考えてもみれば、出産の5人に1人が帝王切開で赤ちゃんを産んでいるのに、俺がビビってどうするんだと。傷なんてまったく気にしないし、メタボなお腹まわりは元々ヒトサマに見せるようなものでもない(笑)その日のうちに必要な術前検査を済ませ、ここで手術をお願いすることにした。

 

まとめ

どこで手術を受けたいのか、どの医師にお願いしたいのか、これはすごく大切なことだ。なぜならただでさえ医療は不確実な出来事が起こるものであり、今後、再発・転移のリスクにもさらされ続けることになるので、信頼できる医療機関・医師でなければ、いざというとき、『あのとき、ああしてればよかったのかも』と後悔してしまうことがあるかもしれないからだ。あなたが患者さんや患者さんのご家族や大切な方で、もし何かモヤモヤと感じたことがあるなら、ちょっと立ち止まって考えるのもアリじゃないでしょうか?

 

ガイドライン作成医師かどうか、手術件数が多いかどうかは、あくまで個人的な好みの問題である。単にそれが私にとって一番の安心材料だったというだけ。つまり、あなたがこの先生なら100%信頼できると思うなら、その先生にお願いするべきだ。ラソンのように長い闘病生活が続くので、せっかくなら信頼できるパートナーと一緒に走りたいものだ。

 

あと、医療機関や医師を探す方法は難しい。たまたま私は比較的医療に近いこともあり、また詳しい友人もいることから、自身で納得できる医師に出会えた。ただ、現在はネットからでもかなり豊富な情報にアクセスできるので、自分の力で調べる努力は決して損にはならない。できれば100%ネットだけでなく、友人や知り合いのツテでも医師などの医療関係者、または医師自身に推薦する医師を聞いてみることができれば理想だと思う。

 

ではまた〜。